食欲と愛情の間。

今日は夕飯にアサリ汁を作った。
アサリをまず洗おうとしたら、一つに何かくっついていた。なんだろうと思って取って見れば、それは6mm程度の、カニ。小指の先にやっと乗るほどのカニ。
生協で今日届いた、パックのアサリの中から出てきて、それはなんと生きていた。
母に言うと、「長く生きてられないだろうから味噌汁に入れちゃえ」と。
しかしジーっと見ていると横ばいを始めたので、情が湧いてしまい、「結構元気みたい…飼ってみるか?」と思い、入っていたアサリのパックに少々水を入れ、しばらく放っておいた。
アサリ汁が出来あがる頃、ふと見るとカニが動かなくなっていた。つついても、反応しない。
「あんな多分苦境(パック)の中でも生き抜いたのに…死んだんかな」
そのまま腐っても惨めだし、生ゴミの所に放るのもなんなので、…味噌汁に放り入れた。
お墓を作ってあげる…と言うのが何はともあれベストだったのか?と言う気持ちはあるが、それが何よりもいいと思ったのだ。腐るより食べちゃえ、と。
寒い今の土に埋められたって寒いだろう、しかしその考えの挙句が味噌汁。何となく敬虔な気持ちではあったけど。

これが、私が幼児だったり、小学生だったりしたら母の態度も、私自身も、何かもっとカニの扱いが違っていただろうと思う。
カニの大きさがそれ以上に大きかったら、また反応も違ったと思う。

常々、家畜とペットの狭間ってあるんかなーと思う都度、『食欲が勝てば食べるし、愛情が勝てば食べられない』だろうなと言う結果になっていたんだけど、なんかその感覚にちょっと近かった。
似た話で、友達の「金魚だけは何年飼ってても死んだ時泣けないわー」「ああー魚は大きくても泣けないねー」と言う話を聞いたことがあるのだけど、やはりこう、なんかそう言う線引きって心の中に漠然とあるんでしょうな。
もし大きい鯉より小さくても、ハムスターなら死んだ時に泣く人がいる、とか。
その話題を他の人に振ったら「ああー金魚なら生ゴミに捨てちゃうね。庭狭いし。」と言った主婦の方もいらした…。おいらは金魚を生ゴミはちょっとなぁ。うーん。
鯉でもまぁ気持ちのかけ様か…。買った時の値段じゃ泣けないよね?
心の中のことだから『気持ち次第』ってのが適当なんだろうとは思うけど、ふとしたきっかけに思いがけない自分の価値観を見る事があるなぁと。

★★★

プロジェクトX

「これをしなかったら生まれて来た価値がない」と思えるほどの事に出会えた人は幸せだと思う。
一生の中に『そう思えるほどの』出来事があるのは、本人にとって、また本人に好意で関わる人にとっての「幸せ」だと。

自分で自分の腕を磨き続ける職人が、しかも技術と体力の最高の融和状態にあるときにそれを全て発揮して挑めるなら、これ以上本望なことはないと思う。
そんな気持ちで見てた。
よく「あと何年若かったら」と言う言葉を聞くと「今からだって遅くはない」とか「実際若くてもそう言う人は言うだけでやらない」とか、そんな事を思ったもんだけど、でも、年老いてから職人さんとして、本当に悔し涙を流すほど
「こんな仕事を、体力のある内に自分がやりたかった!」
と思うようなことに出会う事もあるんだろうなぁと思った。
言い訳じゃなくて、本当に、熱意だけじゃどうしようもない事があるというのが、今ならわかるから。年配の祖父母を見ていて、特に。

『時期』とか『時流』ってものがあることを、この番組を見ていて本当に思う。

”もしその時代、「これ」が開発されていなかったら、あの時代に「それ」は存在し得なかった。”
そんな例が、いくつもあったから。
一つの技術が形をなすのに、その根底を支える部品の一つがどれだけの力を持って登場するのか。
一人の人が何かを作り上げるのに、この人に出会わなければ出来なかったろうと思うきっかけの人に出会える縁。

確かに成功ばかりあるわけじゃないし、一応の結果が出せた人達を追うからああ言う番組が出来るのだろうけど。

『縁』と言う『力』は、確かにあると思う。

★★★

「幸せ」と、「自分を幸せだと思いこんでいる状態」は、気持ち上、同じだと思う。
…じゃあきっと、「不幸」も。

…そうなんだろうか。
確かに、不幸=マイナスでも、ないとは思うけど。

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