日奈誕
2003年9月15日我家の三女(犬)日奈の誕生日であり、フィラリア予防の投薬日であり、祖父の米寿のお祝いの日でありました。
日奈は6年前の10月半ば、一ヶ月少々で私が菓子折りと引き換えに頂いてきました。
(彼女の立場から言えば>さらわれてきたことも、家に着いたときぶるぶる震えてダンボールの中で吐いていたことも、しばらくは夜鳴きしたので私が彼女の入ったダンボールの近くで寝ていたことなど、きっと覚えてはいないでしょう。
彼女はいつも元気です。
フルパワーで愛オーラを振りまいてくれます。
いつでもウエルカム状態で24時間営業のサービス業です。
これがチラッと顔を見るだけで寄っても来なかったらさぞかし可愛くないでしょう。
面倒がらずにいつもひょこっと小屋から出てきて「なになに御用???」って顔してくれるのでとても愛しいです。
今日は母に新しい赤い首輪を買って貰ったらしいです。
祖父は今年の誕生日で88になり、今日村長さんから米寿の記念に症状を貰ったらしいです。
私がここまで生きてきた段階で、この頃精神的にも肉体的にも疲弊しておる身なので、一層凄いよなぁと思います…。
ちっせぇよ自分(TT)!!!!
老人国家とか介護なんとかとか色々それなりの社会問題はありますが、やっぱ亀の甲より年の功って言うのはその通りだなぁなどと思います。
祖父母と一緒に夕飯を食べながらNHKの長寿にまつわる番組など見ていて、更に本当にそう思いました…。
人様の人生の出来事を傍目に勝手に『苦労』と呼ぶのは失礼であろうと思いはしますが…。
はぁ…。
自分ごとき本当に小さいと…妙に安堵すら覚えるほどの、年配の方々の笑顔がたくさんの番組でした…。
そして人生は本当にいつも途中経過でしかないんだなぁと思いました。
なんか作文みたいですが。
きれいごとばっかも確かになんではありますけど、きれいでありたいなぁと思いその気持ちに近づきたいと思いつつ生きるのは、本当にいいなぁと思いますですよ。
笑顔がすてきでしたよ皆さん。
ああ言うのって色々経験したからこそおおらかに笑えるのでしょうか。
じゃあ私もいつかああして笑えるように今痛い思いをしたりしているのだとしたら。
ああして笑える人になる為なのだとしたら。
ああ痛くてもそれは素敵です。
そう思っていたいです。
日奈は6年前の10月半ば、一ヶ月少々で私が菓子折りと引き換えに頂いてきました。
(彼女の立場から言えば>さらわれてきたことも、家に着いたときぶるぶる震えてダンボールの中で吐いていたことも、しばらくは夜鳴きしたので私が彼女の入ったダンボールの近くで寝ていたことなど、きっと覚えてはいないでしょう。
彼女はいつも元気です。
フルパワーで愛オーラを振りまいてくれます。
いつでもウエルカム状態で24時間営業のサービス業です。
これがチラッと顔を見るだけで寄っても来なかったらさぞかし可愛くないでしょう。
面倒がらずにいつもひょこっと小屋から出てきて「なになに御用???」って顔してくれるのでとても愛しいです。
今日は母に新しい赤い首輪を買って貰ったらしいです。
祖父は今年の誕生日で88になり、今日村長さんから米寿の記念に症状を貰ったらしいです。
私がここまで生きてきた段階で、この頃精神的にも肉体的にも疲弊しておる身なので、一層凄いよなぁと思います…。
ちっせぇよ自分(TT)!!!!
老人国家とか介護なんとかとか色々それなりの社会問題はありますが、やっぱ亀の甲より年の功って言うのはその通りだなぁなどと思います。
祖父母と一緒に夕飯を食べながらNHKの長寿にまつわる番組など見ていて、更に本当にそう思いました…。
人様の人生の出来事を傍目に勝手に『苦労』と呼ぶのは失礼であろうと思いはしますが…。
はぁ…。
自分ごとき本当に小さいと…妙に安堵すら覚えるほどの、年配の方々の笑顔がたくさんの番組でした…。
そして人生は本当にいつも途中経過でしかないんだなぁと思いました。
なんか作文みたいですが。
きれいごとばっかも確かになんではありますけど、きれいでありたいなぁと思いその気持ちに近づきたいと思いつつ生きるのは、本当にいいなぁと思いますですよ。
笑顔がすてきでしたよ皆さん。
ああ言うのって色々経験したからこそおおらかに笑えるのでしょうか。
じゃあ私もいつかああして笑えるように今痛い思いをしたりしているのだとしたら。
ああして笑える人になる為なのだとしたら。
ああ痛くてもそれは素敵です。
そう思っていたいです。
コメント