心が強い方は、体がまいるまで「頑張っちゃう」と思います。
心か体かどっちかが壊れるまで頑張る人、多いと思います。
(いや、壊れるまでは限界がわからないのかも知れない。)

でも、どちらが先に壊れるにしろ、限界以上の重さには、人間含め全てのものは、耐えられないんじゃないか…いや、耐えられないから限界なんだろうと思います。

そして、体の機能が「今まで」より落ちると、「今まで」の感覚で本人が体を使おうとして、出来ないものだから、心にもものすごく圧力がかかると思います。
そこから精神的にも崩れ始めることは実感しましたので、余計そう思います。

以前母が、(もう亡くなった)祖父がぼけた時に、
「あんなに体が言うことを利かなくなって、頭がまともだったら狂っちゃうかもしれない」
と言っていました。
わけがわからなくなってしまう方が、心が乱れずに済むから。
体の変調は急激にでも驚きますが、徐々に徐々に、「普段ならもうじき回復するから」と思いながら全然回復しないと、焦りがものすごくなります。
長期戦だけに、気力も、自覚しないうちに枯れはじめてしまっていたりします。
そして、回復の為の努力も、すればするほど期待した状態に近づかない事に焦り、気分転換として今までやってきたことが全然楽しくなくなった時、自分の心まで乾燥しきっていると思い知らされ、ものすごい絶望感に襲われたりします。

「逃げちゃいけないって思うんですけど…」
と問診の時言ったら、精神科の先生に言われました。
「それは、逃げるんじゃなくて休むんだよ」
って。
その時は「あ、そうかー」って思っただけだったけど、今はそれ以上の言葉ってないような気がします。

私は
「これ以上我慢すると更に心身が傷んで、きっと自力で回復できなくなって、人手を借りずに回復できなくなる。入院する羽目になる。回復にかける時間も、お金も、体力も何もかも、今なら最低限で済む!」
と、自分で原因と思しき環境とお別れしました。
(これ以上詳しく書きません。当時の関係者、私のネット活動一切ばらしてないけど、このサイトは知ってるかもしれないから)

周囲にもそりゃあ根性ナシだの甘ったれだの言われましたけど、見渡してみれば私の周りは、「本当に入院するまで頑張っちゃった人」のほうが多いんです…(いいやら悪いやら)。
私が「(過去のごたごたを知っているからこそ)この人には責められても仕方ない…」と申し訳なく思った方は、やっぱり自律神経系で入院した経験がある方です。
(自殺未遂経験もあるそうな…)
そりゃあ本当に壊れるまでガンバっちゃった人には、根性ナシと罵られてもやむなしか…と微妙に納得したものです。
(ちなみにそう言う人はとても負けず嫌いだったりもします)

もっと個人的なことを言うと「いつでもニュートラルが美徳」と考えていると、他人の前でもつい「平気な自分」を装ってしまい、周囲に気づかれずに失調していきます。
そして本人が「マジでダメだ」と気づいた時、周囲は「え?具合悪かったの?」てなことになります。
自分でも自分を励まし疲れた頃に、叱られたり他の人に明るく励まされたりするとマジで死にたくなりますv

だーかーらー自分で出来る範囲は励まし尽くしたっつーの〜

しかしお人好しを演じて生きてきた人間には、そこで怒ることが出来ません。(気弱だからな!)
その場は愛想笑いで頷いてごまかして、隠した怒りのエネルギーは自分に向います。
時に、モノとかにも。(子供いたら子供に当たってたかもと思う)
でも、基本的にあまり怒らない人間は、怒ると余計疲れます(笑)。
そして悲しみのドツボにはまります。
八つ当たりした自分を、弱い、不甲斐ないと責めます。

悪循環の繰り返し、ぐるぐる回って深みにねじ込んで行きます。
そして今まで自分が目指し努めて来た人生の全てがその敗因であるように思い込んでしまいます。

普通回復すると思うだろー?
しないから病気なんだよやっぱ。
…自分で回想しててなんかハイになって来た(==;)。


今は(自分にとって)幸い、周囲に「やかましー! 私は今死にそうなんじゃー!!」と素直に暴露できるまでになり、随分楽になりました。
(根性悪と言われる人はウツにならないってのわかる気がします…)
人に嫌な思いをさせてはイカン…と思うのは心がけとして美しいと思うし、だからこそ自分もそうありたかったですが、具合が悪いのはこりゃもう仕方ないと諦めました。
そゆとこは素直になっとかないと、本心から気遣ってくれる人にもガードしてるみたいで悪いし。

まぁその、養生して下さい。
生きる為に頑張りすぎて死んじゃうのって、本末転倒かなと思うのですよ。
説教臭いだろうと思います、ごめんなさい。
でも、ちょっと前の自分にも、似た思いをしてるであろう人にも、そう言いたかったのです。
ぐるぐる考えすぎて結局何も言えないことが多い自分ですが、いいと思ったことはやっぱり伝えたい。
かける言葉を間違うかもしれないけど、自分はこう思います、と。

★★★

まぁそう言うわけで私は根本的に「自分の性格自体に問題があるのか」と自己不信の深いのに見舞われていたわけです。
今もちょっと…。

でもね、急に外で雨が降って、傘がなかったら、ぬれるのは仕方ないでしょう。
傘があったら、さすでしょう。
屋根があったら、雨宿り。
敢えて、雨に濡れることを選択することもあると思うし。

先回りしすぎて「考えすぎ」と呆れられても、思わぬとこ責められて「考えなし」と罵られても、人生結局出たとこ(出したとこ)勝負だし。
死んでも引けない理由がある時は、それはそれで別の決断が出来るだろうと、今は思ってますしね。

いや本当、人生勝てる敵ばっかじゃないです。
無理なものは無理。
自分を知るのは、身の程を知ることでもある。
勝てない相手には命がけで挑まぬが良し。

それでも更にと望むものがその先にあれば、挑むが良しで。

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