嗚呼

2004年9月14日 日常
要らん事で深読みする自分が嫌いです。
そのお陰でテストと名のつく類のものは致命的失点し放題でした(現在も進行形か)。
「その事」には、他の人と回答の内容について質疑応答をしたときに気づくのですが、私が私のままの所以は説明されてもわからないとこです。
なおかつ、その出題に疑問を抱き「納得できねぇ!!」と悩むとこです。
何で他の人は一回の説明で出題の幅を理解できるのでしょうか。
どうして「今はそこまで考えなくていいんだよ」と私は言われてしまうのでしょうか。
常識は誰に習えば常識なのでしょうか。

今またそんなことに躓いてます。

★★★

<心(愛)はお金で買えるか>
<外見と内面、付き合う条件はどっち>
とゆーのは、実によくある論題です。

しかし私は議論の前に論題意図を細かく問いたい。
単語に関する個人のイメージもあれば、言い回しもあるし、状況的な可能性だって千差万別じゃないですか!!
論題の前に出題者の意図と言い回しと具体例を求めずにはいられない自分が私は好きです。
が、自分のイメージだけで話を進められる方にはその場では叶いませんでした(笑)。

ちなみに<付き合う条件はどっち>の場合、私は意外性に弱かったりするので「内面と外面のギャップが大きい方」と答えたいです。
美形過ぎる(私はこっち苦手)人でも、中身が逞しかったらカッコイイ。
外見が超男前でも(自分基準)中身が気弱だったら可愛い。
そもそも好きになるのに条件が片方の人間などいるのか?
姿だけで存在する人、心だけで存在する人。いないだろー!!

でもこれ、出題意図を探る方向としては、
「自分の定義する最高条件を満たした大嫌いな人」

「自分の定義する最低条件を満たした大好きな人」
とゆーことだったら、そんなの選ぶまでもないんじゃないの、と思うけど。
だって選べる程度の問題じゃないじゃん…大好きと大嫌いは…。
大好きでも自分の絶対条件を冒したら嫌いになるじゃん。
「あなただから余計許せない」っつことがあるじゃん。
そこまで考えなくていいんですかこれも。

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