心底安心していいものかとまだ不安が残っていますが、多くの方に多大なご迷惑をおかけし、一応の収拾を図ることができました。
昨晩から今日一日、実に生きた心地のしない時間を過ごしましたが、その分自身の現実的な反省点を数多く見出し、今後の教訓とすることを誓いました。
そして、こんなろくでなしでもそれなりに人生をやって行かれるのは、他の方にいろんな形で赦して頂いているからだと本当に思いました。
普段は身近な人中心にそう思っていましたが、距離的に遠くとも、面識がなくとも、何らかの形で「赦されて」、支えられているのだなぁと、心底実感しました。
本来ならとても腹立たしかったはずの失態、ご丁寧に対応して下さった方々に本当に感謝感謝の一日です。
このことをきっかけに、私もこうして他の人を赦せるだろうか、小さな支えにでもなれるだろうかなど、自身の置かれた環境や今後できることに思いを巡らせ、何とも言えない深い気持ちになりました。
普段あまり意識しませんが、先日読んだ書籍にあって心に残っている<敬虔な気持ち>と言うものは、こういうものだろうかと思いました。
通常は神仏に対する信仰心を表す言葉ですが、もうちょっと違った意味合いもあると思うのです。
そしてもっともっと<敬虔な気持ちになる時間>を増やすよう努めようと思いました。
反省や謙虚とはまた違った、<敬虔な気持ち>に。
昨晩から今日一日、実に生きた心地のしない時間を過ごしましたが、その分自身の現実的な反省点を数多く見出し、今後の教訓とすることを誓いました。
そして、こんなろくでなしでもそれなりに人生をやって行かれるのは、他の方にいろんな形で赦して頂いているからだと本当に思いました。
普段は身近な人中心にそう思っていましたが、距離的に遠くとも、面識がなくとも、何らかの形で「赦されて」、支えられているのだなぁと、心底実感しました。
本来ならとても腹立たしかったはずの失態、ご丁寧に対応して下さった方々に本当に感謝感謝の一日です。
このことをきっかけに、私もこうして他の人を赦せるだろうか、小さな支えにでもなれるだろうかなど、自身の置かれた環境や今後できることに思いを巡らせ、何とも言えない深い気持ちになりました。
普段あまり意識しませんが、先日読んだ書籍にあって心に残っている<敬虔な気持ち>と言うものは、こういうものだろうかと思いました。
通常は神仏に対する信仰心を表す言葉ですが、もうちょっと違った意味合いもあると思うのです。
そしてもっともっと<敬虔な気持ちになる時間>を増やすよう努めようと思いました。
反省や謙虚とはまた違った、<敬虔な気持ち>に。
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