しんみりしない長い話。
2009年10月12日なんか疲れてるしなのですこばはー。
えー
先日10日は母方の法事でした。
祖父母の代までの供養は今回までということで末端の私たちも加えてもらいました。
母の実家は親戚が多くしかも本家なので、盆と正月そして法事にはかなりの人数が集まります。
今でこそ食事は別の場で設けたりしますが、代々のお嫁さんは全部家で料理を作っていたわけで、それだけでも想像すると頭が下がります。
農家の本家の跡取りの嫁というとてつもないお役目を果たしてきた伯母には今5人の孫がいます。
つまりはその家の私のいとこ3人の、それぞれの子です。
いとこは皆年上で、私たち姉妹は一番下。
その子たちは12歳を筆頭に1歳からだいたい3歳違いくらい。
1年会わないとどの子がどうなったか全く分からなくなります。
さらに皆それぞれ親だけでなく祖父母や伯父伯母の面影を持っているので、傍目にはどの子同士が兄弟で誰の子かなどまったくわからないと思います。
(いとこ似って言葉ありますよね)
私たちもいとこからずいぶんお下がりをもらいましたが、今度は私の子にいとこの子らのお下がりをもらったり、育児用品のことなどを教えてもらったりしています。
以前誰かのお葬式の時、小さいころの私は母に「お葬式って嬉しいの?悲しいの?」と尋ねたことがあります。
いとこの子たちもまだ小さい子は、この集まりが何であるのか、そして集まった人たちがどういう関係であるのか、わからないことでしょう。
この年になって私もいまだに正式な名前と関係を把握できていない親戚が多々います。
それでも、こういった場に小さいころから参加する機会があったことはとてもよかったと思います。
おかげで、ある程度成長してからですが私は「人はいつか必ず死に別れるもの」と思うようになりました。
だから生きて顔を合わせている間くらいはどんな相手でもそれなりに大事にしようと。
お葬式もあり結婚式もあり、子供が生まれて前の代は年をとる、そういう流れをごく自然なものとして身近に感じて生きられる。
貴重な経験だと思います。
お焼香の時、お線香をあげる時、お墓に手を合わせる時、今回私は供養ではなく感謝の言葉しか浮かびませんでした。
他家に嫁いだ母からさらに他家に嫁いだ私ですが、私自身も今おなかにいる子も、代々の血をひいてここにいるわけですから。
もちろん、旦那しゃん方のご血縁や先代にも同じように感謝しております。
そしていとこの子の年長さんに妹が「なんで結婚しないの?」と聞かれているのをみて、「うーん一年前だったら私も言われてたセリフだのう」と苦笑してしまいました。
小さいころだったら私もある程度の年齢して結婚してない人のことを不思議に思ったかもしれません。
もうちょっと大きくなると「どうも年齢だけで結婚相手が見つかるわけでもないらしい」とわかるようになるんでしょうけども。
妊娠中、しかも来月末が予定日ということで喪服ではなく地味めのマタニティに黒い上着を羽織って、お墓が山の中なのでスニーカーで参加させてもらいました。
今月に入ってから日常的な姿勢が不自由になり呼吸が大変で足のむくみもすごかったのですが、出産経験のある親戚に気遣ってもらえてとても楽に参列できました。
皆さんありがとう(;;)
母の実家には盆と正月には必ずと言っていいほど行っていましたが、嫁いだこともあって今後あまり全員と一度に行き会う機会はないかもしれないので、時間いっぱいお話してきました。
1歳時から90歳代までの幅広い親戚が集う機会なんて、少子化の今後の日本には減っちゃうんでしょうね。
そしてこんなにテンションの上がる、法事ながらも幸せな日。
・・・。
私、人生で5本の指に入るんではないかという便秘でした。
朝「これはいかん!!このままでは遅刻してしまう!!」とむりやり…便意 を切り上げ、とりあえず昼食会とお茶時を過ごし、夕方「旦那しゃんのとこに早く帰らなきゃー」と思ったのに実家のトイレから動けなくなったという。
ただでさえ詰まるという鉄錠飲んでるとこに、先日から鉄ビンの水常備してがぶがぶ飲んでたせいでしょうか。
トイレ行こうか右往左往した時間含め2時間くらい…がんばりました。
法事で慣れない正座を重い体でしたせいもあるのでしょうが、足がとても疲れました。
体の負担て足に来るんですよね…いろいろとね…洋式でもね…。
あんまりスッキリしないけどとりあえず切り上げるか…という状態まで行けたので、心はテンション高くなったけど体はど疲れさん状態でなんとか帰宅。
んで帰ってから100mlくらいのお水を数分おきに飲んでいたら…出ました!!
この方法有効ですね、覚えとこうと思いました。
んでなんで法事の話とこんな話を続けて書くかと言うと、まだこの話に続きがあるからで。
なんでか最近私は妙にたくさん絵を描くようになりました。
数年うつうつと薬を飲んで過ごしていたのが恵まれた穏やかな環境で妊娠生活を送って心身とも(劇的に変化はしましたが)健康的な状態になってまたそういう欲求が出てきた、のか、またはおなかの子がどういうことが好きで私にそれが出てきているのか。
とにかくデジタルでもアナログでも書きまくっていて、ドローソフトについても貪欲に勉強するようになりました。
んで、帰宅後夕食食べてまた描き始めまして。
ちょっとでも時間があれば作業を進めたいものだから、一日に何度もPC立ち上げるのです。
んで、研究し始めたばっかのイラスタが、思うようにならなくて。
疲れました。
今度は気分もぐったりしてしまいました。
原稿を印刷屋さんに送った後、もしくはコピー本頑張った当日のイベント。
そんな風に「気持ちはなんか覚醒状態なんだけどどう考えても体は重い」状態で「テンション下がる作業」。
疲れているのに、目がさえて寝付けなくなってしまいました。
起きてても座ってても血は下に行くのでむくみまくり。
でも寝転がるのもおなかが大きいので楽ではないし、眠くないのに布団に入ると大体ろくでもない考えで寝付けないままごろごろして疲れ倍増しそうな予感。
体力はあまり残ってなくて体操をする気力は出ない。
そしてなんだか寝るでもなく活動するでもなくボーっとして、不機嫌ではないけど無愛想状態になって、旦那しゃんに「なんか怒ってる?」と心配される始末。
怒ってるわけじゃないんだけど、なんと言うか、今日記書いてるから客観視できるんだけどその時は自分でも自分の状態がよくわからなくて、「別に…」みたいな返答をして、
喧嘩じゃないけど、なにやら微妙な雰囲気に…。
その日は結局本読んだり落書きしたりして夜更かしして、なんとか眠気が出てきた時に眠ることができたんだけど…。
今日もなんだか、同じ状態。
どうも、疲れているらしい。
すごく寝てるしちゃんと食べている上絵を描く気力もあって作業をしてるんだけど、なんかこう…。
気がついたんだけど、どうも私は運動がしたいらしい。
運動をしてスッキリしたいという欲求が解消されなくて不満らしい。
でも今靴を履いたりいつもの姿勢で車のシートに座ったり、ふつーに歩いたりするだけで呼吸が苦しい。
胸の辺りがつっかえててぜーぜーゆっちゃって、咳も出る。
ほんとはもっと散歩とかして歩きたい。
できればバトミントンかなんかしたい。
でもあまり長く歩くとおなかが痛くて歩けなくなってしまった。
車の運転もおなかが大きくなって窮屈になってしまった。
(危ないからそろそろ控えろともまわりにも言われてるし…)
座ってて立ち上がるのにバランスをとるため大股を開くから、今まで使ってなかった部分の筋肉を使うらしくてお尻が筋肉痛。
妊娠は病気じゃないというのは励ましの言葉であって、「だからいつもどおりしても100%大丈夫」というわけではないんだなぁということをしみじみ感じる。
まさか、歩くだけで息が上がるなんて。
まさか、靴をはくという動作だけでぜーぜーしちゃうなんて。
おなか大きいからお尻と太ももで酸素も血液もせき止められちゃって、足の末端まで行ったはいいけど帰ってこれないのかなー…。
ははは。
はぁあ。
でも産んですぐすべて元通りでもなし、むしろ産後の方が体が急激に変化してびっくりするかもしれない。
ま
赤たんが生まれるというのはそんだけ大変なことなのだ。
んで、みんなお母ちゃんたちは頑張って産んで、夫婦で育てるのだ。
繰り返しなのだ。
みんなそうなのだ。
「私もいける、だいじょぶだいじょぶ」って思って。
自分の分がんばるだけなのだ。
赤たんもきっと赤たんなりに「自分の分」がんばって生まれてくるのだ。
そうなのだ、きっとそうなのだ。
はー
息、苦しいー。
ですます調が最後ひとりごとになって終わる。
えー
先日10日は母方の法事でした。
祖父母の代までの供養は今回までということで末端の私たちも加えてもらいました。
母の実家は親戚が多くしかも本家なので、盆と正月そして法事にはかなりの人数が集まります。
今でこそ食事は別の場で設けたりしますが、代々のお嫁さんは全部家で料理を作っていたわけで、それだけでも想像すると頭が下がります。
農家の本家の跡取りの嫁というとてつもないお役目を果たしてきた伯母には今5人の孫がいます。
つまりはその家の私のいとこ3人の、それぞれの子です。
いとこは皆年上で、私たち姉妹は一番下。
その子たちは12歳を筆頭に1歳からだいたい3歳違いくらい。
1年会わないとどの子がどうなったか全く分からなくなります。
さらに皆それぞれ親だけでなく祖父母や伯父伯母の面影を持っているので、傍目にはどの子同士が兄弟で誰の子かなどまったくわからないと思います。
(いとこ似って言葉ありますよね)
私たちもいとこからずいぶんお下がりをもらいましたが、今度は私の子にいとこの子らのお下がりをもらったり、育児用品のことなどを教えてもらったりしています。
以前誰かのお葬式の時、小さいころの私は母に「お葬式って嬉しいの?悲しいの?」と尋ねたことがあります。
いとこの子たちもまだ小さい子は、この集まりが何であるのか、そして集まった人たちがどういう関係であるのか、わからないことでしょう。
この年になって私もいまだに正式な名前と関係を把握できていない親戚が多々います。
それでも、こういった場に小さいころから参加する機会があったことはとてもよかったと思います。
おかげで、ある程度成長してからですが私は「人はいつか必ず死に別れるもの」と思うようになりました。
だから生きて顔を合わせている間くらいはどんな相手でもそれなりに大事にしようと。
お葬式もあり結婚式もあり、子供が生まれて前の代は年をとる、そういう流れをごく自然なものとして身近に感じて生きられる。
貴重な経験だと思います。
お焼香の時、お線香をあげる時、お墓に手を合わせる時、今回私は供養ではなく感謝の言葉しか浮かびませんでした。
他家に嫁いだ母からさらに他家に嫁いだ私ですが、私自身も今おなかにいる子も、代々の血をひいてここにいるわけですから。
もちろん、旦那しゃん方のご血縁や先代にも同じように感謝しております。
そしていとこの子の年長さんに妹が「なんで結婚しないの?」と聞かれているのをみて、「うーん一年前だったら私も言われてたセリフだのう」と苦笑してしまいました。
小さいころだったら私もある程度の年齢して結婚してない人のことを不思議に思ったかもしれません。
もうちょっと大きくなると「どうも年齢だけで結婚相手が見つかるわけでもないらしい」とわかるようになるんでしょうけども。
妊娠中、しかも来月末が予定日ということで喪服ではなく地味めのマタニティに黒い上着を羽織って、お墓が山の中なのでスニーカーで参加させてもらいました。
今月に入ってから日常的な姿勢が不自由になり呼吸が大変で足のむくみもすごかったのですが、出産経験のある親戚に気遣ってもらえてとても楽に参列できました。
皆さんありがとう(;;)
母の実家には盆と正月には必ずと言っていいほど行っていましたが、嫁いだこともあって今後あまり全員と一度に行き会う機会はないかもしれないので、時間いっぱいお話してきました。
1歳時から90歳代までの幅広い親戚が集う機会なんて、少子化の今後の日本には減っちゃうんでしょうね。
そしてこんなにテンションの上がる、法事ながらも幸せな日。
・・・。
私、人生で5本の指に入るんではないかという便秘でした。
朝「これはいかん!!このままでは遅刻してしまう!!」とむりやり…便意 を切り上げ、とりあえず昼食会とお茶時を過ごし、夕方「旦那しゃんのとこに早く帰らなきゃー」と思ったのに実家のトイレから動けなくなったという。
ただでさえ詰まるという鉄錠飲んでるとこに、先日から鉄ビンの水常備してがぶがぶ飲んでたせいでしょうか。
トイレ行こうか右往左往した時間含め2時間くらい…がんばりました。
法事で慣れない正座を重い体でしたせいもあるのでしょうが、足がとても疲れました。
体の負担て足に来るんですよね…いろいろとね…洋式でもね…。
あんまりスッキリしないけどとりあえず切り上げるか…という状態まで行けたので、心はテンション高くなったけど体はど疲れさん状態でなんとか帰宅。
んで帰ってから100mlくらいのお水を数分おきに飲んでいたら…出ました!!
この方法有効ですね、覚えとこうと思いました。
んでなんで法事の話とこんな話を続けて書くかと言うと、まだこの話に続きがあるからで。
なんでか最近私は妙にたくさん絵を描くようになりました。
数年うつうつと薬を飲んで過ごしていたのが恵まれた穏やかな環境で妊娠生活を送って心身とも(劇的に変化はしましたが)健康的な状態になってまたそういう欲求が出てきた、のか、またはおなかの子がどういうことが好きで私にそれが出てきているのか。
とにかくデジタルでもアナログでも書きまくっていて、ドローソフトについても貪欲に勉強するようになりました。
んで、帰宅後夕食食べてまた描き始めまして。
ちょっとでも時間があれば作業を進めたいものだから、一日に何度もPC立ち上げるのです。
んで、研究し始めたばっかのイラスタが、思うようにならなくて。
疲れました。
今度は気分もぐったりしてしまいました。
原稿を印刷屋さんに送った後、もしくはコピー本頑張った当日のイベント。
そんな風に「気持ちはなんか覚醒状態なんだけどどう考えても体は重い」状態で「テンション下がる作業」。
疲れているのに、目がさえて寝付けなくなってしまいました。
起きてても座ってても血は下に行くのでむくみまくり。
でも寝転がるのもおなかが大きいので楽ではないし、眠くないのに布団に入ると大体ろくでもない考えで寝付けないままごろごろして疲れ倍増しそうな予感。
体力はあまり残ってなくて体操をする気力は出ない。
そしてなんだか寝るでもなく活動するでもなくボーっとして、不機嫌ではないけど無愛想状態になって、旦那しゃんに「なんか怒ってる?」と心配される始末。
怒ってるわけじゃないんだけど、なんと言うか、今日記書いてるから客観視できるんだけどその時は自分でも自分の状態がよくわからなくて、「別に…」みたいな返答をして、
喧嘩じゃないけど、なにやら微妙な雰囲気に…。
その日は結局本読んだり落書きしたりして夜更かしして、なんとか眠気が出てきた時に眠ることができたんだけど…。
今日もなんだか、同じ状態。
どうも、疲れているらしい。
すごく寝てるしちゃんと食べている上絵を描く気力もあって作業をしてるんだけど、なんかこう…。
気がついたんだけど、どうも私は運動がしたいらしい。
運動をしてスッキリしたいという欲求が解消されなくて不満らしい。
でも今靴を履いたりいつもの姿勢で車のシートに座ったり、ふつーに歩いたりするだけで呼吸が苦しい。
胸の辺りがつっかえててぜーぜーゆっちゃって、咳も出る。
ほんとはもっと散歩とかして歩きたい。
できればバトミントンかなんかしたい。
でもあまり長く歩くとおなかが痛くて歩けなくなってしまった。
車の運転もおなかが大きくなって窮屈になってしまった。
(危ないからそろそろ控えろともまわりにも言われてるし…)
座ってて立ち上がるのにバランスをとるため大股を開くから、今まで使ってなかった部分の筋肉を使うらしくてお尻が筋肉痛。
妊娠は病気じゃないというのは励ましの言葉であって、「だからいつもどおりしても100%大丈夫」というわけではないんだなぁということをしみじみ感じる。
まさか、歩くだけで息が上がるなんて。
まさか、靴をはくという動作だけでぜーぜーしちゃうなんて。
おなか大きいからお尻と太ももで酸素も血液もせき止められちゃって、足の末端まで行ったはいいけど帰ってこれないのかなー…。
ははは。
はぁあ。
でも産んですぐすべて元通りでもなし、むしろ産後の方が体が急激に変化してびっくりするかもしれない。
ま
赤たんが生まれるというのはそんだけ大変なことなのだ。
んで、みんなお母ちゃんたちは頑張って産んで、夫婦で育てるのだ。
繰り返しなのだ。
みんなそうなのだ。
「私もいける、だいじょぶだいじょぶ」って思って。
自分の分がんばるだけなのだ。
赤たんもきっと赤たんなりに「自分の分」がんばって生まれてくるのだ。
そうなのだ、きっとそうなのだ。
はー
息、苦しいー。
ですます調が最後ひとりごとになって終わる。
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