ポッキーの日
2009年11月11日
旦那しゃんの会社に家族そろって新型インフルにかかった方がいるそうで、もはやどの辺の領域までを警戒したものか判断が難しいところです。
とりあえず、うがい手洗いにんにく卵黄 外出時のマスクは守っているしなのですこばは!
さて
きれいなものって、「きれいなもの」なんでしょうか。
自分の「きれい」のファインダーが開いてる時に「きれいに映る」んでしょうか。
雨の中近くの公園まで散歩に出かけて、グレーチングにたまった落ち葉がきれいだったのでパチッとな。
濡れた桜の樹皮の黒と枯れ葉の赤黄緑が灰色の空の中でとてもきれいでした。
きれいと言う話で
今日とある番組を見ました。
テレビ東京で前に見た番組ですが、地元局では放送が遅れています。
うちはケーブルテレビでテレビ東京が見られますが、そっちはアナログ放送です。
地元局はデジタルで映ります。
きれいさが全然違って目を見張りました…。
もともとうちのテレビはデジタルとアナログの映りは全然違うなーって思っていたし、以前も同じ番組の遅れた放送を見て感じたことがありましたが、テレ東で見た時不鮮明だったせいで今一つ不明だった場面が、画像・音声ともくっきりクリアでした。
視力が落ちた時の裸眼と眼鏡くらいに…。
俳優さんのお肌の質感までばっちりチェックできました。
女子アナや女優さんがデジタル化を恐れているというのは全然おおげさじゃないんだなと思いました。
そうでなくとも、テレビの画質事項上に伴って時代劇のかつらと地肌の境目がよくわかってしまっていたのに…。
それも最近のテレビは画面が大きい。
何をかいわんやです。
旦那しゃんが見せてくれたFF7の映像シリーズもCGの画質が恐ろしく高く、PSPでさえも「何もここまで」と言う表示能力。
「その上ここまで整った美男美女が実際存在するかのように映像化されると、こんなもん見て育った子は「普通の人の顔ってなんでこんなに崩れてるんだろう」って思うんじゃないかー?」とまで思ってしまいました。
赤たんには「こちらの世界」を五感できちんと認識させられる育て方をしようと決めていますが、世代的な接触文化の違いはいかんともしがたいでしょうね。
私たちも親の世代にはなかった「当然のようにテレビのある子供時代」を送っておりますしね。
どの世代も新しいものに囲まれて育ってきているから神経とがらすこともないと思うんですけど、いいと思うことは実践していきたいと思います。
子供の頃は絵本的な絵よりアニメ絵の方が断然好きだった私が受け入れられる絵の幅がかなり広がったのは、今にして思えば親の教育が大きかったかもしれませんし。
でも創作物は理想像であるがゆえに美しいのであって、自然なものを美しいと思うのはまたちょっと違うような気もします。
さておき
今日もまた腹痛が来ています。
うおー、眠いのに寝にくいなー。
体がしっかりしてくるに従って、私とは全然違う個体であることを主張されている気分になってきました。
この痛みが来てから、ちょっとイライラすることが増えたような気がします。
(手がすべって物落としたとか、隙間にしまった胡麻の袋が見当たらないとかしょーもないことで…普段からこういう「しょーもないこと」に非常にイラッと来ちゃうタチですけど…)
なんだろな、感覚のずれって言うか、気持ちの動かし方のちょっとした不自由感っていうかー。
…赤たんがいじれて泣いたり思い通りにいかなくてキーっとなるのもこういう感じかしら。
これは赤たんの気持ちの予習なのかしら。
子供の頃ってこういうの多かったしな…。
ちゃんと覚えておこう…。
とりあえず、うがい手洗い
さて
きれいなものって、「きれいなもの」なんでしょうか。
自分の「きれい」のファインダーが開いてる時に「きれいに映る」んでしょうか。
雨の中近くの公園まで散歩に出かけて、グレーチングにたまった落ち葉がきれいだったのでパチッとな。
濡れた桜の樹皮の黒と枯れ葉の赤黄緑が灰色の空の中でとてもきれいでした。
きれいと言う話で
今日とある番組を見ました。
テレビ東京で前に見た番組ですが、地元局では放送が遅れています。
うちはケーブルテレビでテレビ東京が見られますが、そっちはアナログ放送です。
地元局はデジタルで映ります。
きれいさが全然違って目を見張りました…。
もともとうちのテレビはデジタルとアナログの映りは全然違うなーって思っていたし、以前も同じ番組の遅れた放送を見て感じたことがありましたが、テレ東で見た時不鮮明だったせいで今一つ不明だった場面が、画像・音声ともくっきりクリアでした。
視力が落ちた時の裸眼と眼鏡くらいに…。
俳優さんのお肌の質感までばっちりチェックできました。
女子アナや女優さんがデジタル化を恐れているというのは全然おおげさじゃないんだなと思いました。
そうでなくとも、テレビの画質事項上に伴って時代劇のかつらと地肌の境目がよくわかってしまっていたのに…。
それも最近のテレビは画面が大きい。
何をかいわんやです。
旦那しゃんが見せてくれたFF7の映像シリーズもCGの画質が恐ろしく高く、PSPでさえも「何もここまで」と言う表示能力。
「その上ここまで整った美男美女が実際存在するかのように映像化されると、こんなもん見て育った子は「普通の人の顔ってなんでこんなに崩れてるんだろう」って思うんじゃないかー?」とまで思ってしまいました。
赤たんには「こちらの世界」を五感できちんと認識させられる育て方をしようと決めていますが、世代的な接触文化の違いはいかんともしがたいでしょうね。
私たちも親の世代にはなかった「当然のようにテレビのある子供時代」を送っておりますしね。
どの世代も新しいものに囲まれて育ってきているから神経とがらすこともないと思うんですけど、いいと思うことは実践していきたいと思います。
子供の頃は絵本的な絵よりアニメ絵の方が断然好きだった私が受け入れられる絵の幅がかなり広がったのは、今にして思えば親の教育が大きかったかもしれませんし。
でも創作物は理想像であるがゆえに美しいのであって、自然なものを美しいと思うのはまたちょっと違うような気もします。
さておき
今日もまた腹痛が来ています。
うおー、眠いのに寝にくいなー。
体がしっかりしてくるに従って、私とは全然違う個体であることを主張されている気分になってきました。
この痛みが来てから、ちょっとイライラすることが増えたような気がします。
(手がすべって物落としたとか、隙間にしまった胡麻の袋が見当たらないとかしょーもないことで…普段からこういう「しょーもないこと」に非常にイラッと来ちゃうタチですけど…)
なんだろな、感覚のずれって言うか、気持ちの動かし方のちょっとした不自由感っていうかー。
…赤たんがいじれて泣いたり思い通りにいかなくてキーっとなるのもこういう感じかしら。
これは赤たんの気持ちの予習なのかしら。
子供の頃ってこういうの多かったしな…。
ちゃんと覚えておこう…。
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