ひとさまのブログでペットがなくなったお話が続き、なんとも切ない気持で遠方から冥福を祈るばかりです。
自分が二十歳の時に十数年飼っていた初代わんこが亡くなりまして、専門学校の研修旅行でフランスに行った際パリのペット用品店で「この首輪を…」と思ったけれどもういらないんだなと思い出し、そこでまた泣いたことを思い出しました。
なくなった時も悲しいんですけどね…何かにつけそういう日常のあちこちで長引くんですよね…。

でも、悲しければ悲しいほどなくした存在が大きく愛しかったんだなって思うとですね、そんな存在に生きてる間に逢えてよかったじゃないか!とね、そう思うことにしています。

実家の二代目わんこを飼う時「この子は私が看取る」と心に誓って知人宅からもらってきました。
結婚するにあたり非常に(真っ先に…)悩み、幸い家族全員に懐いていて家族もとても可愛がっていて、人見知りは激しいけれど子犬の頃から可愛がってもらっている近所の方は好き、老齢に入って住む環境が変わるのもなんだし…と結局実家に置いてきましたが(汗)。
もしかしていずれは子供が犬を飼いたいというかもしれないけど、実家わんこ存命のうちは義理立て(というのも変かな)して飼わないつもりです。
私犬と子供を並べて表現するので一緒にしちゃいけないとよく言われますけど、共に暮らす存在感と面倒をみる責任は同じくらいだと思っています。
生まれたての娘を見に来た親戚の女の子に「いま犬と赤ちゃんどっちがだいじ?」って聞かれたけれど、答えられませんでした。
将来このことを知ったらもしかして娘は怒るかもしれないけど、比べようがないです。

ただ、当然ながら決定的に違うところは、わんこは看取る覚悟で一緒に暮らし始めますが娘はそうではないということ。
妊娠してからこっち「生まれる」ということと対で「死ぬ」ということも、それまで以上に強く意識するようになりました。
親戚の葬式や出産が入れ替わりにあることに触れて育ったので、いやでもそれは一対のことであるという感覚が身に付いているのです。

いつか私がいなくなってこの子が残る。
その時、今一緒に過ごしている時間が、思い出せないとしてもあったかな記憶として体に心にきざまれていますように。
目の前のことにばたばたしているけど、たまにちょっと先、そしてもっと先のことを考えて、目指す方向に進んでいきたいと思います。

…未来は決して想像通りにはならないだろうけどね…。
70代の息子を亡くした90代のおばあちゃんの話とかあるしね…。

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