よくわからない。
2010年8月23日日々こぐまの成長について行くのに必死で慌ただしくて、またあまりにあっさりいなくなってしまったので現実感があまりわいていず、うっかりすると祖母が亡くなったことを完全に失念してしまいます。
葬儀の後にもお線香をあげに行き実家の家族とも話したのですが、遺影が目の前になかったら誰が亡くなったかほんとに忘れてしまいます。
法事や、私の挙式の際など「おばあちゃんは足腰弱いから、どうしててもらう? 具合よさそうかな?」と必ず話し合っていたので、お葬式の時は「そうか、おばあちゃんの様子気にしなくていいのか」と思うと不思議な気持ちでした。
数年前に祖父が亡くなったあと、祖母や同居している伯父夫婦を尋ねて行くと「おう、きたか」と祖父の声がする気がしていましたが、当然、それはありませんでした。
だからきっと、祖母も「あら、いらっしゃい」と出迎えてくれることはもうないのでしょう。
とても小さい頃は「お葬式って、楽しいの?悲しいの?」と母に尋ねました。
ある程度大きくなって、悲しいことだとわかったあと、久々に顔を合わせる親類が笑顔で挨拶をし、お酒を飲んで笑いながら昔の話をしているのが不思議でした。
年配の人は慣れもあるけど、残った人が生きて会えるのもこういう機会があるから…みたいな小さい明るさみたいなものが、今はわかります。
娘を連れて行ってよかったと、子供のころから知っていてくれる人に会って思いました。
妹が「これで姉妹そろって独身だったらいたたまれなかった、姉だけでも嫁いでくれてて良かった」と言ってました。
私も、独身だったらもっとショックが大きかったろうと思います。
あとに続く命があると、まわりも安心してくれるようです。
いろんなことを思い出す中、ふと、病院でのことを思い出しました。
思い出すことさえ数年ぶりです。
まだ祖父も生きていた頃、祖母が具合が悪いと言うので、祖父も一緒に乗せて病院に行ったのです。
その頃は伯父夫婦が転勤先にいて、父母は土日休みなので、平日何かあったら平日休みの私が行くことになっていました。
細かいことは忘れましたが、祖母は病院のベッドに寝て点滴を打つことになりました。
祖父が心配して険しい表情をして、じっとそばに座っていました。
祖母は心細そうに天井を見上げていました。
私はそれまで、単純に機会がなくて自分から祖母に触れることがあまりなかった気がするのですが、その時何気なく、空いている祖母の手を握りました。
点滴の間静かに手を動かしながらずっと握っていて、何気ない話をした、ように思います。
この時のことが自分としては妙に印象的で、思い返すたびにふしぎな、でも落ち着いた気持ちになりました。
今、ああして本当によかったなと思います。
実家の家族といたらもっと思い出話がずるずる引っ張り出されてくるのかもしれません。
話すだけ話すと何かが片付く気がしますが、今は何をどうするのがいいのやらよくわかりません。
今さらできることは何もないけれど。
10月頭に49日があります。
それまでは、確かこっちにまだ「いる」と言うことだった気がするので、今のうちにちょこちょこ会いに行こうと思います。
葬儀の後にもお線香をあげに行き実家の家族とも話したのですが、遺影が目の前になかったら誰が亡くなったかほんとに忘れてしまいます。
法事や、私の挙式の際など「おばあちゃんは足腰弱いから、どうしててもらう? 具合よさそうかな?」と必ず話し合っていたので、お葬式の時は「そうか、おばあちゃんの様子気にしなくていいのか」と思うと不思議な気持ちでした。
数年前に祖父が亡くなったあと、祖母や同居している伯父夫婦を尋ねて行くと「おう、きたか」と祖父の声がする気がしていましたが、当然、それはありませんでした。
だからきっと、祖母も「あら、いらっしゃい」と出迎えてくれることはもうないのでしょう。
とても小さい頃は「お葬式って、楽しいの?悲しいの?」と母に尋ねました。
ある程度大きくなって、悲しいことだとわかったあと、久々に顔を合わせる親類が笑顔で挨拶をし、お酒を飲んで笑いながら昔の話をしているのが不思議でした。
年配の人は慣れもあるけど、残った人が生きて会えるのもこういう機会があるから…みたいな小さい明るさみたいなものが、今はわかります。
娘を連れて行ってよかったと、子供のころから知っていてくれる人に会って思いました。
妹が「これで姉妹そろって独身だったらいたたまれなかった、姉だけでも嫁いでくれてて良かった」と言ってました。
私も、独身だったらもっとショックが大きかったろうと思います。
あとに続く命があると、まわりも安心してくれるようです。
いろんなことを思い出す中、ふと、病院でのことを思い出しました。
思い出すことさえ数年ぶりです。
まだ祖父も生きていた頃、祖母が具合が悪いと言うので、祖父も一緒に乗せて病院に行ったのです。
その頃は伯父夫婦が転勤先にいて、父母は土日休みなので、平日何かあったら平日休みの私が行くことになっていました。
細かいことは忘れましたが、祖母は病院のベッドに寝て点滴を打つことになりました。
祖父が心配して険しい表情をして、じっとそばに座っていました。
祖母は心細そうに天井を見上げていました。
私はそれまで、単純に機会がなくて自分から祖母に触れることがあまりなかった気がするのですが、その時何気なく、空いている祖母の手を握りました。
点滴の間静かに手を動かしながらずっと握っていて、何気ない話をした、ように思います。
この時のことが自分としては妙に印象的で、思い返すたびにふしぎな、でも落ち着いた気持ちになりました。
今、ああして本当によかったなと思います。
実家の家族といたらもっと思い出話がずるずる引っ張り出されてくるのかもしれません。
話すだけ話すと何かが片付く気がしますが、今は何をどうするのがいいのやらよくわかりません。
今さらできることは何もないけれど。
10月頭に49日があります。
それまでは、確かこっちにまだ「いる」と言うことだった気がするので、今のうちにちょこちょこ会いに行こうと思います。
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