産後ママの心と体がらく~になる本
2010年11月6日 カエルの子育て
今日図書館から借りてきて、しゃしゃっと読めました。
どんな内容が濃くてもとっつきどころがなく読む気が起きないんじゃ本としては本末転倒。
これはそれぞれの話題をおしゃべり口調で短くまとめてあるので読みやすく、アドバイスもポイントが抑えられてます。
項目と見出しが「それ気になってたんだよ!」と言うものばかりで有用性が十分な感じ。
育児関連書籍を多数読んでみて、主張したい方針がきちっとあって書いてあるからでしょうけど、わりと「お母さんを励ますために一生懸命書いてあるとは思うけど結構ガツンとしたかんじの多いよなー」と思うことが多い中、ひじょーに控え目な「さりげなくて、やさしい本」という印象です。
ペラペラっと世間話して一息つけるようないい本だと思います。
読んだら産後すぐの人も肩の力が抜けると思うけど、産むことにのみ気持ちが行きがちなお産前に「産後にこういうこともあるのかー」とちょっと読んどいても、その後気楽に構えられそうです。
てか、産後すぐこれ読んでたかったな…。
もちろん内容のアドバイス通りにいかないこともたくさんあったとは思うけれど、知ってたらもうちょっと力を抜けたんじゃないかな。
産後あまりにも以前と比べて「思うようにいかない」ことが増えて「私こんなでいいんだろうか…」としおれ気味になってたこと思い出します。
愚痴をやわらかく受け止めてくれた周囲の人に感謝しているけど、そういう時って「私を気遣って優しいことを言ってくれてるんだろうな、でもほんとはもっとしっかりしていないといけないんだろうな」って思っちゃう。
そういう時こういう本を読んで、自分を知らない人が「それでいいのさ」と言っているのを見て「そうか、それでもいいのか」って安心できる。
そういうところがあります。
読んでみての反省点は、「携帯やテレビに夢中では母乳のよさも半減」の文。
ごめんなさい。
”触れ合ってる時間が目を離してもいい時間!!”と言う感じでテレビも携帯もしました。
(だっこねんねの時はネットもゲームもしました…最初の数カ月特に。)
顔を見てあげることももちろんあったけど、しょーじき「たまには違うものが見たい…」と思ってました。
他に気分転換の要素見つけられなかったんだよ…。
携帯でメールするしか外の人と言葉交わす方法なかったよ(1カ月は完全に家に缶詰だしインフル流行ってたし)…。
「育児育児で赤ちゃん一色になると逆によくない!」って思ってたし。
ただ、日常触れることと話しかけることは大事にしました。
「触れる=ぬくもりで安心させる、話しかける=存在を認めている」って思うので。
…思春期ごろにこれがどう出るのかな…「お母さんほんとは私のことほっといてテレビ見たかったでしょ!」とか言われるのかなービクビク。
さて、そのコーグヤーマは無事11カ月。
来月頭には1歳を迎えます。
コーグヤーマの気に向きによりちょっと時間に余裕のできたここ数日、1年前を懐かしく回顧しております。
あの時はまだ顔も見てなかったし、もちろん声だって聞けなかったし、いつ生まれるか緊張して…臨月しんどかったな…体型も体重もあんなだったもんな…。
そう思って改めて見る娘の顔は妙に新鮮です。
けがをさせないように気を配る反面、けがを「させられないように(しないように…)」することも気をつけないとな、と思うこのごろです。
だっこして揺り上げる時強烈な頭突きをもらってしまい頭蓋骨とあごの骨のすきま部分が何日も痛くて、しかもその時ざくっと口内を切って8mmも直径があるような口内炎に気が滅入る毎日です。
もの食べる時しみて息がとまるくらい痛いです…。
まぁいいけどね、かわいいから!!
(これ一番重要)
どんな内容が濃くてもとっつきどころがなく読む気が起きないんじゃ本としては本末転倒。
これはそれぞれの話題をおしゃべり口調で短くまとめてあるので読みやすく、アドバイスもポイントが抑えられてます。
項目と見出しが「それ気になってたんだよ!」と言うものばかりで有用性が十分な感じ。
育児関連書籍を多数読んでみて、主張したい方針がきちっとあって書いてあるからでしょうけど、わりと「お母さんを励ますために一生懸命書いてあるとは思うけど結構ガツンとしたかんじの多いよなー」と思うことが多い中、ひじょーに控え目な「さりげなくて、やさしい本」という印象です。
ペラペラっと世間話して一息つけるようないい本だと思います。
読んだら産後すぐの人も肩の力が抜けると思うけど、産むことにのみ気持ちが行きがちなお産前に「産後にこういうこともあるのかー」とちょっと読んどいても、その後気楽に構えられそうです。
てか、産後すぐこれ読んでたかったな…。
もちろん内容のアドバイス通りにいかないこともたくさんあったとは思うけれど、知ってたらもうちょっと力を抜けたんじゃないかな。
産後あまりにも以前と比べて「思うようにいかない」ことが増えて「私こんなでいいんだろうか…」としおれ気味になってたこと思い出します。
愚痴をやわらかく受け止めてくれた周囲の人に感謝しているけど、そういう時って「私を気遣って優しいことを言ってくれてるんだろうな、でもほんとはもっとしっかりしていないといけないんだろうな」って思っちゃう。
そういう時こういう本を読んで、自分を知らない人が「それでいいのさ」と言っているのを見て「そうか、それでもいいのか」って安心できる。
そういうところがあります。
読んでみての反省点は、「携帯やテレビに夢中では母乳のよさも半減」の文。
ごめんなさい。
”触れ合ってる時間が目を離してもいい時間!!”と言う感じでテレビも携帯もしました。
(だっこねんねの時はネットもゲームもしました…最初の数カ月特に。)
顔を見てあげることももちろんあったけど、しょーじき「たまには違うものが見たい…」と思ってました。
他に気分転換の要素見つけられなかったんだよ…。
携帯でメールするしか外の人と言葉交わす方法なかったよ(1カ月は完全に家に缶詰だしインフル流行ってたし)…。
「育児育児で赤ちゃん一色になると逆によくない!」って思ってたし。
ただ、日常触れることと話しかけることは大事にしました。
「触れる=ぬくもりで安心させる、話しかける=存在を認めている」って思うので。
…思春期ごろにこれがどう出るのかな…「お母さんほんとは私のことほっといてテレビ見たかったでしょ!」とか言われるのかなービクビク。
さて、そのコーグヤーマは無事11カ月。
来月頭には1歳を迎えます。
コーグヤーマの気に向きによりちょっと時間に余裕のできたここ数日、1年前を懐かしく回顧しております。
あの時はまだ顔も見てなかったし、もちろん声だって聞けなかったし、いつ生まれるか緊張して…臨月しんどかったな…体型も体重もあんなだったもんな…。
そう思って改めて見る娘の顔は妙に新鮮です。
けがをさせないように気を配る反面、けがを「させられないように(しないように…)」することも気をつけないとな、と思うこのごろです。
だっこして揺り上げる時強烈な頭突きをもらってしまい頭蓋骨とあごの骨のすきま部分が何日も痛くて、しかもその時ざくっと口内を切って8mmも直径があるような口内炎に気が滅入る毎日です。
もの食べる時しみて息がとまるくらい痛いです…。
まぁいいけどね、かわいいから!!
(これ一番重要)
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